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【第1部|古代〜中世】1. 先史時代のブリテン島(ストーンヘンジと古代の人々)

古代〜中世(島の始まりと統一への序章) 1. 先史時代のブリテン島(ストーンヘンジと古代の人々)

「イギリス」という国のかたちができあがるずっと前、この島にはすでに人々が暮らし、後世に残る不思議な巨石の記念碑を築いていました。イギリス留学を考えるとき、多くの方はロンドンの街並みや大学の歴史を思い浮かべるかもしれませんが、その足元にはさらに数万年におよぶ「島の記憶」が眠っています。今回は、イギリスの歴史シリーズの第1回として、人類がこの島にたどり着いてからストーンヘンジが築かれ、青銅器時代を迎えるまでの「先史時代」を、じっくりとたどっていきましょう。

目次

氷河期の狩人たち — 人類最初の到来

実は、ブリテン島に人類が足を踏み入れたのは、私たちが想像する以上に古い時代のことです。イングランド南部の遺跡からは、数十万年前のものとされる石器や、さらに古い時代の人類の足跡の化石が発見されています。もっとも、この時代のブリテン島は氷期と間氷期を繰り返す非常に不安定な環境で、気候が寒冷化するたびに人類は姿を消し、温暖化するたびにまた大陸から新しい集団がやってくる、ということを何度も繰り返していたと考えられています。ネアンデルタール人が暮らしていた痕跡も見つかっており、私たちの直接の祖先である現生人類(ホモ・サピエンス)がこの島に定着し始めたのは、最後の氷期がもっとも厳しかった時期をようやく脱した、今からおよそ1万数千年前のことでした。

ブリテン島は、もともと「島」ではなかった

現在のイギリスは四方を海に囲まれた島国ですが、約8,000年前まではまったく事情が異なっていました。最後の氷期が終わりに近づいた頃、ブリテン島は「ドッガーランド」と呼ばれる広大な低地を通じて、ヨーロッパ大陸と地続きになっていたのです。この土地は森や川、湿地が広がる豊かな環境で、当時のヨーロッパでもっとも人口密度の高い地域のひとつだったとも言われており、人々はここを歩いて自由に大陸とブリテン島の間を行き来していました。

しかし氷期が終わり気候が温暖化すると、氷床が溶けて海面が上昇し、紀元前6500年頃までにドッガーランドは完全に北海の下へと沈んでしまいます。これによってブリテン島(およびアイルランド)はヨーロッパ大陸から切り離され、現在のような「島」になりました。留学で訪れるイギリスが「島国」であること自体、実はこの太古の気候変動がもたらした結果なのです。

ドッガーランドの推定範囲を示す地図画像

中石器時代の狩猟採集民たち — 「チェダーマン」の時代

ブリテン島がまだ大陸と地続きだった時代から少しずつ人が住み着くようになったこの時期(紀元前1万年頃〜紀元前4000年頃)は、「中石器時代(メソリシック)」と呼ばれます。人々は農耕を行わず、狩猟・漁労・木の実や貝の採集によって生計を立て、季節ごとに移動しながら暮らしていました。ヨークシャーの「スター・カー」遺跡などでは、当時の住居跡や、鹿の頭骨を加工した儀礼用の頭飾りなど、彼らの生活を伝える貴重な遺物が見つかっています。

この時代を代表する存在が、イングランド南西部のチェダー渓谷にある洞窟(ゴフズ・ケイブ)で発見された、通称「チェダーマン」です。約1万年前に亡くなったとされるこの人物の骨からDNAが抽出され、当時の人々の姿かたちや由来について多くのことが分かってきました。興味深いのは、彼のような中石器時代の狩猟採集民の遺伝的な系統は、その後にヨーロッパ大陸からやってきた農耕民によってほぼ置き換えられたと考えられている点です。つまり、現在のイギリス人は、チェダーマンたちの直接の子孫というより、その後に移住してきた人々の子孫としての側面が強いということになります。

新石器時代の到来 — 農耕民の移住とストーンヘンジの始まり

シルベリー・ヒル

紀元前4000年頃、ブリテン島の歴史における大きな転換点が訪れます。ヨーロッパ大陸から農耕の技術を携えた人々が、海を渡って移住してきたのです。近年のゲノム研究では、この新石器時代の農耕民は、それ以前からブリテン島にいた狩猟採集民の子孫ではなく、地中海方面(エーゲ海周辺)に起源を持つ集団と遺伝的に近いことが明らかになっており、単なる技術の伝播ではなく、人々そのものが大きく入れ替わった可能性が指摘されています。

この新石器時代(紀元前4000年頃〜紀元前2500年頃)には、定住集落や共同墓地(ロングバロー)、環状の土塁(コーズウェイド・エンクロージャー)などが各地に築かれるようになります。ソールズベリー平原からほど近いエイヴベリーには、ストーンヘンジをしのぐ規模の環状列石や、ヨーロッパ最大級の人工の丘とされる「シルベリー・ヒル」も築かれました。こうした大規模建造の流れの延長線上に、ソールズベリー平原での工事が始まります。それが、後の「ストーンヘンジ」です。

ストーンヘンジ — 1,500年をかけた建設の歩み

エイヴベリーの環状列石

ストーンヘンジの建設は、一度に完成したものではなく、約1,500年という長い年月をかけて段階的に進められました。管理団体であるイングリッシュ・ヘリテージによれば、最初の土塁と堀による囲い(アーリー・ヘンジ)が築かれたのは紀元前3000年頃で、現在私たちがよく目にする巨大な石の輪(サーセン・サークル)が組み上げられたのは紀元前2500年頃とされています。

時期(目安)できごと
紀元前3000年頃土塁と堀による最初の円形の囲い(アーリー・ヘンジ)が築かれる
紀元前2900年頃囲いの内側に「オーブリー・ホール」と呼ばれる穴の列が掘られ、火葬した人骨を納める場として使われる
紀元前2500年頃ウェールズ南西部から運ばれた「ブルーストーン」が設置される
紀元前2500年頃現在見られる巨大なサーセン石の輪と、その上に載る楣石(まぐさいし)が組まれる
紀元前2300年頃近隣に「エイムズベリーの射手」に代表されるビーカー文化の人々が現れる

石はどこから来たのか — 250kmを超える大移動

ストーンヘンジを構成する石は、決して近所で調達されたものではありません。外側の巨大なサーセン石は、2020年の研究で、ストーンヘンジから約25km離れたウェスト・ウッズ周辺が主な産地だったことが特定されました。一方、内側に並ぶ小ぶりな「ブルーストーン」は、なんと約250km離れたウェールズ南西部のプレセリ丘陵から運ばれたと考えられています。

さらに2024年には、輪の中心に横たわる6トンの「アルターストーン」について、これまで有力視されていたウェールズ起源説を覆す発見がありました。ネイチャー誌に発表された鉱物分析の結果、この石は約750kmも離れたスコットランド北東部から運ばれたものである可能性が高いことが分かったのです。当時の技術で、これほどの重量物を陸路・海路のいずれで、どのように運んだのかは、今もはっきりと解明されていません。この発見は、新石器時代のブリテン島各地の共同体が、私たちが想像していた以上に広範囲でつながっていたことを示す手がかりとしても注目されています。

何のために造られたのか — 諸説ある「目的」

ストーンヘンジが「何のために」造られたのかは、実は今も完全には解明されておらず、複数の説が唱えられています。断定的な答えがあるわけではない、という点を前提にご紹介します。 太陽信仰・天文観測の場という説 夏至の日の出、冬至の日の入りが、特定の石(ヒールストーン)の方向と一致するように配置されていることから、太陽の動きに合わせた祭祀の場だったとする説です。 埋葬・祖先崇拝の場という説 最初期のストーンヘンジが、火葬した人骨を長期間にわたって納める場として使われていた痕跡があることから、死者や祖先を祀る場だったとする説です。 各地の共同体をつなぐ「統合」の場という説 ウェールズやスコットランドなど、遠方から運ばれた石の存在から、離れた地域の共同体同士が結びつきを確認し合う、政治的・社会的な集会の場だったとする説です。2024年のアルターストーンの発見以降、有力視されつつあります。 治癒・巡礼の場という説 ブルーストーンに癒やしの力があると信じられ、病気や怪我を治すために遠方から人々が巡礼に訪れた場所だったとする説もあります。

かつては「ドルイド(古代ケルトの祭司)の神殿」という説も広く語られましたが、これはストーンヘンジが実際に建てられた時代よりもはるかに後の時代の人々によるイメージであることが分かっており、現在の考古学ではあまり支持されていません。唯一の正解が決まっているわけではなく、時代によって役割が変化した、あるいは複数の機能を兼ねていた可能性も含めて、今も研究が続いているテーマだと理解しておくとよいでしょう。

青銅器時代への移行 — 「エイムズベリーの射手」が語るもの

ストーンヘンジがほぼ現在の姿になった紀元前2500年頃からしばらく経つと、ヨーロッパ大陸から「ビーカー人」と呼ばれる新たな集団がブリテン島にやってきます。彼らは特徴的な釣鐘型の土器(ビーカー)に加え、当時最先端の技術だった金属器(銅・金・のちに青銅)の技術を持ち込みました。

2002年、ストーンヘンジからわずか5km足らずの場所で、この時代を象徴する重要な墓が発見されました。「エイムズベリーの射手」と呼ばれる紀元前2300年頃の男性の墓です。彼の副葬品は、多数の矢じりや石製の腕当てに加え、銅製のナイフ3本、そしてイギリスで発見された中で最古とされる金の装飾品を含む、当時のブリテン島の埋葬としては破格の量にのぼりました。歯のエナメル質に含まれる酸素同位体の分析からは、彼自身がアルプス地方(現在のスイス周辺)の出身である可能性が高いことも分かっています。この一つの墓から、大陸との人・技術の行き来、そして身分の差がすでに生まれ始めていた社会の姿が浮かび上がってきます。ここから、ブリテン島は本格的な「青銅器時代」へと移っていきます。

この時代の名残は、今のイギリスのどこに見られるか

ストーンヘンジは現在、ロンドンから電車とバスで日帰り圏内のソールズベリー近郊にあり、イギリス留学中に多くの日本人が訪れる定番の観光地のひとつです。周辺のソールズベリー平原には、同じ世界遺産「ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連遺跡群」に登録されているエイヴベリーの環状列石をはじめ、関連する遺跡が数多く点在しています。また、エイムズベリーの射手をはじめとする出土品は、近くのソールズベリー博物館で実際に見ることができます。

イギリスの人々にとって、こうした先史時代の遺跡は「よく分からないが確かにそこにある、途方もなく古いもの」として、日常の風景の一部になっています。留学先でイギリス人の友人と歴史の話をする際、こうした「文字記録が残るより前の歴史」について知っておくと、会話の引き出しがぐっと広がるはずです。次回は、この島に「ブリトン人」と呼ばれる人々が根づいていく、鉄器時代のケルト文化の時代を見ていきます。

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