

前回は、アルフレッド大王が築いた土台の上に、孫のアゼルスタンが927年に「イングランド王」として国をまとめあげたところまでをご紹介しました。それから約140年後の1066年、イングランドはふたたび大きな転機を迎えます。たった1年のうちに王が何度も入れ替わり、最終的に海を渡ってきたフランス系の勢力が、イングランドの支配者になるという出来事が起こります。
目次
まず整理:この年に何が起きたのか
- 何の話か→1066年という1年間に起きた、王位をめぐる争いと3つの大きな戦い
- 誰が関わったのか→ハロルド2世(イングランド)、ウィリアム(ノルマンディー公)、ハラルド3世(ノルウェー王)の3人
- 結果どうなったのか→ウィリアムが勝利し、イングランドはフランス系の「ノルマン朝」に支配されることになった
後継者のいない王―エドワード懺悔王の死
1066年1月5日、イングランド王エドワード懺悔王が、跡継ぎとなる子どもを残さないまま亡くなりました。エドワードは母がノルマンディー(現在のフランス北部)出身で、若い頃をノルマンディーで過ごした経験もあり、海の向こうのノルマンディー公ウィリアムとも縁がありました。
子どもがいなかったエドワードの後継者をめぐっては、複数の人物が「自分こそが正当な後継者だ」と主張する、複雑な状況が生まれていました。
3人の候補者
| 人物 | 立場 | 主張の根拠 |
|---|---|---|
| ハロルド・ゴドウィンソン | イングランドの有力貴族(ウェセックス伯) | エドワードが死の床で後継者に指名し、貴族会議(ウィタン)も承認した |
| ウィリアム(ノルマンディー公) | 現在のフランス北部を治める貴族 | 以前エドワードから王位を約束されたと主張。また、ハロルド自身がかつて自分への忠誠を誓ったとも主張 |
| ハラルド3世(ノルウェー王) | ノルウェーの王 | かつてイングランドを支配したクヌート大王との血縁関係を根拠に主張 |
エドワードの死の翌日、1066年1月6日、ハロルドは貴族会議の支持を受けてハロルド2世として即位しました。しかし、これに納得しなかったウィリアムとハラルド3世は、それぞれ軍を率いてイングランドへ向かうことになります。
北からの侵攻―スタンフォードブリッジの戦い
先に動いたのはノルウェー側でした。1066年9月、ハラルド3世は、ハロルド2世の弟で対立していたトスティグとともにイングランド北部に上陸します。ハロルド2世は急いで軍を率いて北上し、1066年9月25日、ヨーク近郊の「スタンフォードブリッジの戦い」でこの連合軍を打ち破りました。この戦いでハラルド3世とトスティグはともに命を落としています。
ハロルド2世にとっては大きな勝利でしたが、休む間もなく、今度は南からウィリアムの軍が迫っているという知らせが届きます。
南からの侵攻―ヘイスティングズの戦い
1066年9月28日、ウィリアム率いるノルマン軍はイングランド南岸のペヴェンジーに上陸しました。北部での戦いを終えたばかりのハロルド2世は、疲労した兵を率いて急いで南へ引き返さなければなりませんでした。
そして1066年10月14日、両軍はヘイスティングズ近郊で激突します。「ヘイスティングズの戦い」と呼ばれるこの戦闘は、1日がかりの激しい戦いとなりました。最終的にハロルド2世は戦死し、イングランド軍は敗北します。ハロルドの最期については、バイユーのタペストリー(当時の様子を刺繍で描いた記録)に「矢が目に刺さって亡くなった」と解釈できる場面があることで広く知られていますが、これが実際の死因かどうかについては、史料の解釈をめぐって今も議論が続いています。
ウィリアムの戴冠―「征服王」の誕生
ヘイスティングズでの勝利の後も、ウィリアムはすぐにロンドンへ入城したわけではなく、周辺地域を制圧しながら慎重に進軍しました。そして1066年12月25日のクリスマスの日、ウィリアムはウェストミンスター寺院で戴冠式を行い、イングランド王ウィリアム1世として即位しました。後に「ウィリアム征服王(ウィリアム・ザ・コンクラー)」と呼ばれるようになる人物です。
ただし、戴冠したからといってすぐにイングランド全土を完全に支配できたわけではありません。各地で反乱が相次ぎ、特に北部では大規模な抵抗運動が起こりました。ウィリアムはこれを厳しく鎮圧し(「北部の蹂躙」と呼ばれる過酷な制圧作戦も行われました)、数年かけてようやく支配を安定させていきます。
支配の仕組みづくり―城と土地台帳
支配を固めるためにウィリアムが行ったことの一つが、イングランド各地への城の建設です。初期には「モット・アンド・ベイリー」と呼ばれる、土を盛り上げた丘(モット)の上に木造の塔を築く、比較的短期間で作れるタイプの城が各地に建設されました。ロンドン塔のように、後に石造りへと建て替えられたものも数多くあります。
また1086年には、イングランド全土の土地・資産・人口を調べ上げた台帳「ドゥームズデイ・ブック」が作成されました。これは、誰がどれだけの土地を持ち、どれだけの税を納めるべきかを正確に把握するための、当時としては非常に先進的な統治の仕組みでした。
この時代の名残は今のイギリスのどこに見られるか
ノルマン征服は、現在の英語にも大きな影響を残しています。征服後、支配階級はフランス語(ノルマン・フレンチ)を話すようになり、政治・法律・料理などに関する多くの言葉が英語に取り入れられました。たとえば、生きている動物を指す英語(ox, pig, sheepなど、アングロサクソン系の言葉)と、調理された肉を指す言葉(beef, pork, muttonなど、フランス語系の言葉)が別系統になっているのは、この時代の名残だといわれています。また、ロンドン塔をはじめとする各地の城は、現在も観光名所として多くの人が訪れる史跡です。留学中に「なぜ英語にはフランス語由来の単語がこんなに多いのか」を知っていると、英語学習そのものもより面白く感じられるかもしれません。


