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アングロサクソン七王国時代の歴史をわかりやすく解説

前回は、ローマ帝国がブリテン島から撤退する紀元410年までをご紹介しました。ローマがいなくなったブリテン島には、その後どんな時代が訪れたのでしょうか。今回ご紹介する「アングロサクソン七王国時代」は、日本でいえば戦国時代のように、いくつもの小さな国が並び立ち、勢力争いを繰り広げていた時代です。少し登場人物が多くなりますが、一つひとつ整理しながら見ていきましょう。

目次

まず整理:この時代に何が起きたのか

ローマが去った後のブリテン島には、大陸(現在のドイツ北部やデンマーク周辺)から「アングロサクソン人」と呼ばれる人々が海を渡ってやってきました。彼らは島の各地に次々と小さな国(王国)を作り、やがてそのうち有力な7つの王国が並び立つ時代になります。これが「アングロサクソン七王国時代(ヘプターキー)」と呼ばれる時代です。

ポイントを先に3つだけ挙げておきます。

  • 誰が来たのか→大陸から来た「アングロサクソン人」という人々
  • 何をしたのか→島の各地に小さな国を作り、勢力を広げ合った
  • 何が起きたのか→キリスト教が広まり、やがて国どうしがまとまっていく土台ができた

アングロサクソン人とは何者か

「アングロサクソン人」とは、一つの民族の名前というより、大陸から渡ってきた複数のゲルマン系の人々をまとめて呼ぶ言葉です。主に次の3つのグループがいたとされています。

  • アングル人…現在のドイツ北部から。「イングランド(Angle-land)」「イングリッシュ(English)」の語源になったといわれるグループです。
  • サクソン人…現在のドイツ北西部から。「エセックス(East Saxons)」「サセックス(South Saxons)」など、-sex(サクソン)が付く地名の由来です。
  • ジュート人…現在のデンマーク周辺から。主にケント地方に定住したとされています。

伝承では、紀元449年頃、ブリテン島側の指導者ヴォーティガーンが、外敵(ピクト人など)への守りとしてヘンギストとホルサという2人の兄弟を大陸から招き入れたのが始まりとされています。ただしこの話は後世の歴史書(ビードの『イングランド教会史』など)に基づく伝承的な要素が強く、史実としてどこまで正確かは研究者の間でも意見が分かれています。実際には、もう少し早い時期から、小規模な移住や交流が徐々に進んでいたと考える研究者も多くいます。

7つの王国、それぞれざっくり紹介

アングロサクソン人たちは島の各地に定住し、やがて有力な7つの王国にまとまっていきます。位置関係も含めて、簡単に押さえておきましょう。

王国名だいたいの場所覚えておきたいポイント
ケント島の南東の端(現在のケント州)キリスト教を最初に受け入れた王国
サセックス南岸中部7王国の中では比較的小規模
ウェセックス南西部後にイングランド統一の中心になる王国
エセックス南東部(現在のロンドン周辺含む)ロンドンを含む時期もあった
イースト・アングリア東部豪華な副葬品で有名な「サットン・フーの遺跡」がある
マーシア中部(現在のミッドランズ地方)8世紀に最強となったオファ王の国
ノーサンブリア北部学者ビードが活躍した、学問の中心地

ちょっと豆知識
「ヘプターキー(七王国)」という呼び方自体は、実はこの時代の人たちが使っていた言葉ではありません。12世紀の歴史家がまとめて言及し、「ヘプターキー」という名前が定着したのは16世紀になってからのことです。当時は7つできっちり分かれていたわけではなく、もっと小さな国が乱立したり、逆に統合されたりを繰り返していました。「7」という数字は、後の時代にわかりやすく整理するために使われた、ある種の“ラベル”だと考えておくとよいでしょう。

キリスト教の広まり―597年、ケントから始まった変化

7王国の中で最初に大きな変化が起きたのは、ケント王国でした。紀元597年、ローマ教皇グレゴリウス1世の命を受けた修道士アウグスティヌスが、ケントに派遣されます。当時のケント王エゼルベルトは、フランク王国出身のキリスト教徒である妻の影響もあり、アウグスティヌスの布教を受け入れ、自らも洗礼を受けました。これが、アングロサクソン人の王としては初めてのキリスト教への改宗とされています。

ここから、キリスト教は他の王国にも徐々に広がっていきます。ただし、ブリテン島の西側(ウェールズなど)にはすでに独自のケルト系キリスト教が根付いており、復活祭の日取りなど、細かな習慣の違いから対立が生じることもありました。この違いを話し合いで調整するために紀元664年に開かれたのが「ウィットビー教会会議」です。この会議をきっかけに、イングランドの教会はローマ式のキリスト教のやり方に統一されていきました。

豆知識:ノーサンブリアの学者ビード
ノーサンブリア王国の修道士ビード(672/673年頃〜735年)は、『イングランド教会史』という書物を書き残しました。この本は、アングロサクソン時代の出来事を知るための最も重要な史料の一つです。ただし、あくまで教会側の視点で書かれた書物であるため、内容をそのまま鵜呑みにせず、他の史料と照らし合わせて読むことが大切だとされています。

マーシアの全盛期―オファ王と「オファの防塁」

8世紀に入ると、中部の王国マーシアが最も強い力を持つようになります。特に有名なのが、757年から796年まで王位にあったオファです。オファは他の王国を圧倒する力を持ち、当時のヨーロッパ大陸の有力者(フランク王国のカール大帝など)とも対等に渡り合う外交を行ったことで知られています。

オファの功績として特に有名なのが、「オファの防塁(オファズ・ダイク)」と呼ばれる、土を盛り上げて作られた長い堤防状の遺構です。これはマーシア王国とウェールズの間の境界線として築かれたと考えられており、一部は現在も残っていて、ハイキングコースとしても親しまれています。

7王国の終わり―ウェセックスによる統一へ

マーシアの繁栄も長くは続かず、9世紀に入るとウェセックス王国が力をつけていきます。紀元829年、ウェセックス王エグバートが他の主要な王国から「盟主」として認められ、この出来事がしばしば「7王国時代の終わり」の目安とされています。

ただし、これで完全に1つの国にまとまったわけではありません。実際には、この後もそれぞれの王国は残り続け、さらに北方からやってくる「ヴァイキング」という新たな勢力の脅威にさらされることになります。このあたりの詳しい話は、次回の「ヴァイキングの侵入とデーンロウ」でご紹介します。

この時代の名残は今のイギリスのどこに見られるか

実は、私たちが普段よく耳にする「イングランド(England)」「イングリッシュ(English)」という言葉自体、この時代にやってきた「アングル人」に由来しています。また、エセックス・サセックス・ミドルセックスといった地名の「セックス(sex)」の部分も、サクソン人を意味する言葉から来ています。現在も残るオファの防塁や、イースト・アングリアのサットン・フー遺跡(大英博物館に出土品が展示されています)は、実際に訪れたり見学したりできる貴重な史跡です。留学先でイギリスの地名の由来を知っていると、街歩きも一段と面白くなるはずです。

参考文献

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